「左利き」の気持ちわかって 渋谷・恵比寿の飲食店、箸の向き変え提案

8月13日(月)朝日新聞の夕刊の囲み記事に、「「左利き」の気持ちわかって 渋谷・恵比寿の飲食店、箸の向き変え提案」というのがあった。

私は左利き(後天的両利き)ですが、この企画にも記事にも、全く賛同できませんでした。



新聞記事引用:

13日の夕食を東京・渋谷や恵比寿で取る人の中には、お箸が左右逆向きに置かれ、普段と勝手が違うのに戸惑う人がいるかもしれない。日常生活で何かと不便を強いられる「左利き」の人たち。その気持ちになることで「右(right)こそ正しい(right)と思いがちな世の中を、見つめ直そう」と呼びかける試みだ。(赤田康和)

確かに、左利きの人は日常生活で何かと不便を強いられる。しかしそれは「右(right)こそ正しい(right)」という認識によるものではないと思う。確かに英語だと「右」はrightで「正しい」もrightだけど、普段「右」という言葉を使うとき「右」を「正しい」と認識しつつ使っている日本人ってどれくらいいるのだろうか? ほとんどいないと思います。

英語がネイティブの人にも聞いてみました。28歳NY州出身MA州在住の右利きの男性人曰く、「たしかに綴りは一緒だけど、普段は意識して使っていないよ。右が正しい? 多数派が正しいっていう意味の歪曲的な表現かな…? だから何?って感じなんだけど」。

左利きの人は日常生活で何かと不便を強いられるのは、右が正しいからではなくて、右が多数派だから。そして、世の片側だけで完結する所作に用いられる道具が、その利便性を追求した際に、多数派である右側の手での使用を考えてデザインされているから、なのだと思うのです。

企画には東京・渋谷の「DexeeDiner渋谷店」など4軒のカフェやレストランが参加する。店員がそっと箸を置く箸袋の裏には、「イライラしましたか。実は左利きの人は毎日そんな気分なのです」というメッセージが書かれている仕掛けだ。

人をイライラさせてどうするよ! 右利きの人に左利きの人の気持ちをわかってもらおうっていうのにイライラさせるのかい? イライラしたひとが穏便に相手の気持ちを慮ろうとするだろうか? それで「世の中を、見つめ直」してくれるのだろうか? いつも自分がされていやなことをどうして他の人にするのだ? わけがわかりません。

私だったら、お金出してご飯食べに行ってだよ、気持ちよくサーブしてもらおうと思ったら箸を逆に置かれて「イライラしましたか」なんて言われたら...帰るね(笑)。「それそれ! 左利きの人はいつもイラっとしているんだよ! その気持ちをわかってもらおうという企画なのよ!」と言うかもしれない。でも、左利きの私から言わせると、普通に右向きに箸を置かれても今までイラっとしたことはありません。そう、実は、なんて言っているけど「左利きの人は毎日そんな気分」、じゃ、ないから! だって、箸を置いてくれた人には悪気はないんだもん。箸の構造上真ん中に箸を縦に置く事もできるのに、持ちやすいだろうと思って右向きに置いてくれるわけだから。残念だけど私はその意にそぐわないプロファイルなのだよ、ということだけなのだから。そんなの、うーんこのイスはちょっと私の座高と合わないな、とか、このお椀は私の手からするとちょっと大きいな、というのと変わらない。

お店の人なりに、多くの人が喜んでくれるであろうおもてなしの形を考えての上で右向きに箸を置く事を考えたわけだ。自分ならこうされたら気持ちがいいな、と試行錯誤したりしてね。それがまあ、ちょっと外れることもあるでしょうよ、それに腹を立てるなんて、ずいぶんと器が小さい話ではないかい?

発案したのは東京都渋谷区の広告会社「デザインバーコード」代表で、自らも左利きの吉田稔さん(36)ら。幼稚園時代に習字教室に通わされ、文字だけは右利きになったが、それ以外は左利き。はさみなどを左手で使いこなそうと苦労をしたおかげで、指先は器用になったという。

「習字教室に通わされ」っていうのが、被害妄想丸出し、っていうか。「指先は器用になった」って、良かったではないですか。苦労したおかげでしょう?

私も習字教室に通っていたけど、最初は左手で書いていました。しかし、もともと漢字もひらがなも、右手で書きやすいように整えてあるものでしょう、特に毛筆は、それで、あ、お習字は右手で書くんだー、そうかその方が払いとか点とか書きやすいもんね、と思って右手で書くようになりました。お習字の先生も親も、右手で書きなさい、と強制しなかった記憶があります。

私の場合、両親とも左利きというのがラッキーだったと思います。親も、自分がそうなのに直せとは言えないからね(^_^;) はさみなどの道具を始め、家には左利きのものも右利きのものもあったので、自然と両方使うようになりました。でも、こっちの方が上手くできるな、っていうのがだんだんとできてきて、包丁とかは左手だけで使うようになったりとかしていきました。どっちでないとだめだ、こっちを使え、と言われた覚えはありません。

それでも世間は、吉田さんたち少数派にとっては住みにくい。自動改札機、手持ちのビデオカメラ、パソコンのマウス、自動販売機の右側にある投入口…。
「日常風景に右利きが正しいとという価値観がしみこんでいる。左利きの視点を多数派が取り込むことで、社会はよりやさしく豊かになるはず」と吉田さん。13日は英国の団体「The Left-handers Club」が「左利きの日」と決めているのにならった。

私も、自動改札機が導入されたことは、何度も通せんぼを食らったことがあります。妊娠中だった左利き友人が、怖くて改札を通れない、と言っていたのを覚えています。当時はまだシステムが導入されたばかりで、にべもなく「通さん!」という風に扉が閉まってしまう仕組みだったけど、最近は緩くなったし、駅員さんがいるところ通れば安全ですしね。それは別に、左利きでない妊婦さんもそうしていますしね。

パソコンのマウスはMacのマウスみたいに左右差のないデザインのものもありますよね。それっくらいしかないですけど。でも、企業だって、売れるアテのないものは作れない。それは、マウスの大きさがもう2周り大きくないとオレら身長190cm以上の少数派にとっては使い辛いんだよねー、っていうのと同じだと思います。あるといいなと思うけど、売れないんだもん、しょうがない、作れない。しかし昨今は、以前よりも小ロットでいろいろなものを作れるようになってきているので、ある程度まとまった要求を企業に出せば生産してくれる、という制度があってもいいなと思います。

自動改札とか、自動販売機とかは、正面にあったら右利きの人にとっても左利きの人にとっても使い辛くなってしまう。なので多数派の右仕様になっているっていうことだと思います。大量の通行者を短時間にさばく、ということを考えての結果だと思うのです。間違っているから切り捨てられたのではないと思います。それによって左利きの人に不便が生じるのは、確かに左利きとしては面白くないことかもしれませんが、だったら右手で持てばいーじゃん、と思うのは私だけですかね? そんなに、右手で定期を持つことがストレスのたまることですかね? もし、自動改札の定期をかざす所が正面にあったとしたら、左手で持っても同じようなストレスを感じると思うのですが。しかもこっちは、右利きの人も左利きの人もストレス。

それに、視点を取り込んだからと言ってすぐに変われるものではないと思います。PASMOとかSUICAとかできて、カードをかざすくらいだったら別に左右差がなくできるからいいやってことで、今は随分と左利きの人もストレスなく改札を通れるようになったのではないかと思います。そうやって技術が解決してくれる未来もあると思います、が、まだ技術が追いついていない部分はたくさんあります。

「左利きの視点」って言っているけど、それを「日常風景に右利きが正しいとという価値観がしみこんでいる」社会で生きている、と捉えてもらいたくないです。そんな穿った視点の左利きさんが「多数派」ではないと思います。

イラっとさせられた人が、社会を「よりやさしく豊か」にしてくれるでしょうか?

「右(right)こそ正しい(right)」という認識とかって、結局、「The Left-Handers Club」の受け売りではないの? それも、英国流のちょっと辛口ジョークの。もうね、それこそ「欧米か!」ですよ。そんな素養ないところへ持ち込むなよ、これだけを。

確かに、日本では、私の母が子供だったころは、左手を使うのは恥ずかしいとかお行儀が悪いとか言って矯正された人もいるみたいだけど、今は、今の日本では「左手を使うのは恥ずかしい、お行儀が悪い」という認識はないと思います。サウスポーかっこいい!とかいう人もいるくらいだし。インドでは宗教上、左手を使うことをタブーとしている方々がまだおりますが(USで学生時代、「左手を使うのを見るのが耐えられない!」といってインド人のルームメイトが部屋替えを申請して部屋を出て行ったときには、まあ、ショックでしたけど)。

賛同した恵比寿のカフェ「ura.」の田中旬店長(31)も左利きだ。「不便を感じながらも、右利き向けのモノが当たり前だと思っていた」という。「お客さんとの会話がはずむきっかけにもなればうれしい」

箸袋には「感想を『左手』でお書きの上、お店に残してください」とも。集まった感想はプロジェクトのホームページ(http://www.d-barcode.com/lefteous/index.html)で紹介する予定だ。

で、お客さんと会話ははずんだのか、気になります。もし、会話がはずむようにするんだったら、私なら、「イライラしましたか」なんて言わないと思います。しれっと左向きに箸を置いて、「あっ、すみません、自分が左利きだもんで、つい…」これで充分だと思います。人のイマジネーションを、私は信じたいですから。

ホームページを見てみたら、紙切れに書き付けられた感想と思われるものに「左利きの人が(はみ出してて読めず)、ごめんなさい(はみ出してて読めず)」というのがありました。これを見たら悲しくなりました。左利きの人が感じているストレスは、あなたが謝ることではないのに…。

感想を左手で書くことに何の意味があるのだろう? 書きにくかったら書けないじゃないですか。感想を聞きたいのではないの? 相手に苦痛やもどかしさを味わって欲しいの? 左利きの人は、左利きであるが故に伝えたいことが上手く伝えられない苦痛やもどかしさを感じることなんかありますか? そんなことはないと思いますが! まったく意味がわかりません。悪乗りもいいところだと思います。

上記ホームページにあった言葉:

世の中を変えよう。/べつに大きなことをしなくてもいい。/身近にいる大切な人の身になって、/なにかひとつ、行動を変えてみるだけでいい。/たとえば左利きの人には、/そっと箸を逆さまに置いてあげるような。/そんな常識にしばられない視点があなたに芽生えれば、/世の中は、もっと豊かになる。

この言葉と、この企画とは、全く違った方向を向いちゃっているような気がします。この言葉を読んで、うん、そうだな、と思うところはあるのですが、この企画には全く賛同できません。

まあ、左利きの人だからと箸を左向きに置く、というのも、もう既に「左利きなんだから左で箸を持つだろう」という常識にしばられちゃっている気がしますが。

右向きに箸を置くのは、その人の身になっていないからではなくて、確率の上で右向きに置けば多くのお客様が心地よいと思ってくれると慮ってのことなのだ。その予想が不幸にして外れちゃうだけのことなのだ。そんなんでイライラするなよ〜。人間小さすぎるぞ〜。左利きがみんなこんな小さい人間だと思われたらヤダなあ〜。

お店に入って1〜2分で、初対面のお客さんが右利きか左利きか見抜くのは難しいと思います。かと言って、箸を立てに並べたり、「お客さん、どっちの手で箸持ちます?」って聞くのも野暮ったい。お作法の先生は、普通のお箸の持ち方のお作法にもうワンアクション加えて、箸置きをずらす方法を教えてくれたっけ。お箸ならそれで充分です。なんてすばらしい道具なんだろう、お箸って。

そういえば、某なんとかカールトンというホテルのレストランで食事をした際には、私のワイングラスを持つ所作から利き手を判断したのだろう、その後出されたデザートスプーンやコーヒーカップを、ちゃんと左手で持てるように置いてくれました。すばらしいおもてなしだと思いました。

デザインバーコード」さんのお仕事、好きだったのにな…こんな了見の狭い思考の持ち主だったとは。残念です。

まあ普段なら、「けっ!」と思う記事のことなどいちいち取り上げない私なのですが、今回は、ちょっと思うことがありました。それは、未だいつ終るともしれない中東で多発しているテロのことです。つい最近もイラク自爆テロがあり、400人を超すイラク人が亡くなりました。

http://www.asahi.com/international/update/0816/TKY200708160379.html
http://www2.asahi.com/special/iraq/TKY200708160067.html

それで思ったのです、この企画って、テロのメンタリティーだなあ、と。

自分が虐げられているから、自分がいやな思いをしているから、同じような思いをそうじゃない人に味合わせてやれ、不意に味合わせてやれ、と。これってテロじゃないか、と。

それで世の中は、豊かになるのでしょうか? 優しい日本人、謝ってくれちゃっている人もいますけど、別に謝って欲しいわけじゃないですよねえ。だいたい、少なくともここ日本では「右(right)こそ正しい(right)と思いがちな世の中」じゃないんですから。

もっと、そんな相手をイラっとさせるやり方ではなくて、もっと冴えた、相手をクスッとさせたり、アハ!とさせたりして気持ちを伝える方法があると思うんです。少なくとも、「デザインバーコード」さんは、そういうお仕事をされているんです。それがどうして、テロだったのかなあ、残念だなあ、と思いました。

同じ思いを味合わせるというやり方では世界は変わらない。テレビでこれらのニュースを見ていてそれがわからないのかなあ。報復は報復の連鎖を生み出すだけだと。どこかでその連鎖を断ち切るには、しかも、さらに憎しみあったり傷つけあったりするのではなくて、今まで見えなかった相手を思う心に変えるには、思い切ったシフトが必要なんじゃないかな。それを「イライラしましたか?」なんっつて相手に"丸投げ"するの? そのシフトが大変なんじゃないの。そのシフトをプロデュースしてこそ、企画、なんじゃないのかなあ。

私は、本気でこの世の中から戦争やテロが無くなって欲しいと思っています。なのに、こんな平和ボケしていると言われている日本においても、相手に解ってもらう手段として相手を不快な気持ちにさせる手段を取ってしまうというのを目の当たりにして、とても残念な気持ちになりました。そして、普通の人よりもアイデアを産み出すパワーが強いであろう広告会社の人がこれを発案したと知ったときには、絶望的な気持ちにすらなりました。日本でもこれかよ、と。テロが無くなる日は遠いのかなあ。



あ、そうだ...右手を使うことを強要しないで、イラっとしない左利きに私を育ててくれて、ありがとう>お父さん、お母さん。幼稚園のスモックのポケット、左側にも付けてくれたり、図工で彫刻刀を使うことになったときに左利きの彫刻刀を求めて京都まで探しに行ってくれたり、してくれたこと、感謝しています。