山口晃展 今度は武者絵だ!@練馬区立美術館

http://www.city.nerima.tokyo.jp/museum/tenji/yamaguti-ten.html
区立美術館なので、入館料500円という安さ。なのに展示作品数は、参考展示(プロダクト)も含めるとおそらく過去最多数、最多年数、しかも展覧会ポスターを含めて新作も。でかした練馬区立美術館!と言いたい!

この展覧会に先立って、8月25日にNHK教育トップランナー」で、山口晃さんを動画で見た。写真でとか自画像でそのお姿を拝見したことはあったけど、動いてしゃべっているところを見るのは初めてだった(9月2日にトークがあったんだけど、沖縄に行っていたので行けなかったんだよね…ほんとにこの日はいろいろ重なっていたなあ(^_^;))。

テレビで見た山口さんは、あまりにも普通の人でビックリした。いやどっちかっていうとむしろ、すごーくもの静かな人、だった。多分、池袋とか高田馬場とか歩いていると「あのう、あなたの健康と幸せのためにお祈りさせてください」っていう人とか「すみません、手相を見せていただけますか」という人に声をかけられたことがあるだろう、そんな人だった。歩く姿、座っている姿、話す様子、どれからも、山口さんの作品の醸すキチガイ沙汰は見受けられなかった。しいて言えば、絵巻風のものではない作品に見られる色使いのようなものが、なんとなく山口さんのしゃべり方に似ていた、でもそれくらいだ。後は、「えぇ、ホントにあなたがあの絵の作者さんですか?!」という感じだった。もう終始、唖然としながら番組を見ていた。

礼儀正しい、優しくて静かな言葉使い。上品な立ち居振る舞い。そして、ちょっとお茶目。しゃべりながらくすくすっと笑う。ちょっとぼおっと考える。目をしばしばっとさせるところなんかかわいくすらある人だった。

その番組で紹介された、その時はまだ書きかけだった「続・無残ノ介」の完成品がこの展覧会の目玉。カンヴァス、パネル、和紙などに、油彩や水彩、墨で描き分けられた、52点組の作品である。コマ割りや吹き出しや描き文字が有る様は「漫画」そのもの、である。しかし、この質感とカンヴァスが波立つような筆使いが、画のサイズが、圧倒的な躍動感を持ってこちら側に迫り出して来るのだ。息を呑むスキもない!

そして、ステレオで聞こえてくる、他の観覧者がごくりとつばを飲む音、彼女に「見ろよスゲェーなー」なんつってる声、メモを取るペンの音などが、漫画では有り得ない、別なベクトルのリアリズムを生み出していて、これぞライブ!っていうか、もうくらくらする、まるで山口さんの絵の中のように。どれが現代? どれが昔? どれが現実にあるもの? どれが妄想?

「山乃愚痴明抄」とか「當世おばか合戦」シリーズとかのディテールの妄想オンパレード。しかも、時間と空間が、現代と昔と入り交じっている、なんの違和感もなしに。なんかどっかで見た事あるような気すらする。妄想話だったらいくらでもできるけど、それを具現化するのって、すごいパワーがいることだと思う。武士がざくっと切られている横をサラリーマンがせかせか歩いている。バスの横を駕籠が競っている。携帯電話で話している人のメモを筆で取っている。戦争ではなくて合戦、に、機動隊が出動しており、ノートパソコンを持ったサラリーマンが戦力分析をしている。戦場で足軽兵が、待ち時間に紙パックのジュースや缶コーヒーをすすっている。戦車の上には屋根瓦。馬バイクもいろんなバリエーションがあるのね、なんだかほんとに有りそうだ。ああ、ずっと見ててもぜんぜん飽きない〜。

参考資料展示コーナーには、我が心のバイブル『風が強く吹いている』の原画もありました。まさか見れるとは思っていなかったので、感動しました(泣)。

NHKトップランナー」で、山口さんは、「ついつい細かく書いてしまうんですね〜」、「ああゆう落書きばっかりしてる子供でして…。大人になってもそんなことしてるんですね〜」なんて飄々と言っていた。

六本木界隈を描いた屏風絵風の絵を見ながら、「ちょっともう悪い癖が出てしまいまして、ついついないもの描いてしまうんですね〜」なんて、しれっという。そして、「(六本木の超有名な高層ビルを)ワタクシに言わせていただくと、デザインがイマイチだったので、もうちょっとかっこよくしてみようかなと」(山本太郎氏が「僕が作るならこんなかんじだよ、と?」というのに答えて)「おせっかいをしてみました」( ゜Д゜)
ヒルズなので、電力をいっぱい使うだろうな、と…原発をひとつサービスしときました」(;;゜Д゜) あ、山口さん、あのお近くのお生まれなんだそうです。

間に合わなくなると雲を描く、そうすると飛躍的に進むんだそうです(笑)

NHKトップランナー」でライブペインティングで描いた作品も出展されていた。改めて見ると怖い無残ノ介。しかし、これを描いている山口さんは、まるで窓拭きでもしているみたいだったんだよなあ。めちゃくちゃ真剣に窓掃除をしている人、みたいな。描き終わったときにささやくような声で大きな声で「いかがでしょう…!」と言ったときには、ぞくっとした、その声を契機に無残ノ介が動き出すかと思った。

からくりとか、馬バイクの馬に近いバージョンとか、結線されている松とか、めちゃくちゃかっこいい。もうこれ動きだしそうだから動かしたいなあ…これでロボット作りたいねえ>Jinさん!

山口さんは、まずひらめかないと、と言っていた。それでスケッチを持ち歩いて、ひらめいたときに描き留めるんだそうだ。しかも、ちゃんと描かないんだって。思いついたものってわりとたくさんのものを含んでいて、それを全部書き留めようとすると、その、思い浮かんだものがどっかに行ってしまうんだって。これなんとなくわかるなあ! メモったものは直ぐに作品にしないで、一旦寝かすんだそうだ。そしてある日今だ!っていう時期が来るんですよね、と質問されて、「えー…、そうだとカッコいいんですけどねえ(笑)…。ある日、もうやらねば、という日が来るんですよねえ(笑)(会場も笑)」。ばん!と描き始めると、腰が入ってくるらしいのだが(^_^;) 発酵の時間、というらしい。なるほど。

このメモも展示されていた。ほんとにふにゃふにゃな線だった。「自分以外の方が見てもわかんないですよねえ」と言っていた声がどこからか聞こえてきそうだった。

目指すのは、絵の先にあるもの、らしい。みんな未完なんだって。

子供のころは、粘土、LEGO、お絵描きが「三大レジャー」だったそうです(笑)おお、ロボット好きだったんですねー!

しかし、山口さんが試みた道は茨の道だった。日本画専攻だと思っていたんだけど、洋画専攻だったとは驚きだ。日本を描けるほど日本を知らない、西洋画を猿マネで描きたくない。山口さんが迷った末に行き着いた“世界”は、そんな苦悩なんか全然感じなくって、むしろとっても楽しそうですらある世界なんだから、不思議だ。

観覧者の、制作におけるモチベーションを保つために普段から何か心がけていらっしゃることがあったら教えてください、という質問に山口さん答えて曰く「窯の火を完全に落とさない、ということを心がけておりまして…。あのう、窯の火っていうのは、ボイラーで動くような船だったら、火を落としちゃうと、でっかいボイラーほど時間がかかるんですよね。なんで、こう、大きい作品をやっているときほど種火を大きくしとくと言いますか、休んでも全部休まないというような状態になるというか、最低限の回転数を必要以上に落とさないように心がけてやっておりますが…」。山口さんは、にっこり笑ってうなずいた。

ほんとうにクルッテいる人って、ハタから見てそのクルイっぷりがわからないなと思った。69年生まれのクルッテいる人をもう一人知っているけど、その人もクルッテいるけど普通にしているときはとてもそんな風には見えないもの(普通じゃないシチュエーションのとき=ライヴとか、だと、ちょっと狂気が見えるときもあるけど)。そういえばその人も「休むわけにはいかない!(笑)」って言っていたっけ。クルッテいる人はどこでその狂気を発すればいいのか知っている人なんだなあと思った。余計なところで気を使ってしまわないんだ。狂気は作品に!

休んでも全部休まないというような状態になる、ということが、どれほどキチ◯イ沙汰なことか。最低限の回転数を必要以上に落とさない、っていうのがどれほど大変なことか。そうやって腹ン中に窯の火を燃やし続けながら送る日常は。

私は私の狂気をどこへ込めればいいのかな。そもそも私には狂気を内に込めていられるだけのココロとカラダはあるのだろうか。しかし進まねば。私にだってやりたいこと/やってみたいことがあるんだから。クルい方すらよくわからないのだけれど、もうちょっとクルッテもいいよね、と思った。体の殆どが機械と化した等身大以上の武士は静かに微笑んでいるように見た。これくらになるまでクルッテもいいなと思った。