スケートボーディング、空間、都市
http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/4-7885-1014-6.htm
「Skateboarding is not a crime.」っていう標語がある。公園や公共のプレイグラウンドから閉め出しを食らったスケートボーダーたちがぽつりとつぶやいたであろうコトバ。
(この標語をちゃっかりブランド名にしちゃってるところまであるよ。http://www.skateboardingisnotacrime.com/)
なんでそんなことになっちゃうの、理由は…さあて、なんだと思う? それは、あれをするから、これをするから、こうだから、ああだから。…ふむふむなるほど。それでskateboardingは犯罪!となるわけだ。
でもちょっと考えてみて欲しい。それってskateboarding itselfが悪いのかな? そうじゃないよね、悪いのはskateboarderなんだよね。レールスライドをそこいらへんの手すりでやってペンキを剥がすのは悪いんだけど、パークでやる分には構わないんだよね。ナイフで人を刺して殺した、そいじゃナイフ販売禁止、じゃ、ナイフを使用した犯罪はなくならない。交通事故が一向になくならない、そいじゃ車廃止、で、私たちはハッピーになれるのか? ちがうよねえ? ごもごもごもごも、ごもっともーーー!!!(ゴメス・チンバレン風に)
さてさて、もうちょっと建設的な話を。本国において、スケートボードの歴史や文化についての本はあまり書かれていないし翻訳されていないんだけど、今度以下の書籍の邦訳が出版されることになったそうだ。
Skateboarding, Space and the City: Architecture, the Body and Performative Critique
- 作者: Iain Borden
- 出版社/メーカー: Berg Publishers
- 発売日: 2003/04/01
- メディア: ペーパーバック
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スケートボーディングは身体による建築批評であり、新たな都市空間の創造で ある… 一見、子どもの遊びと思われがちなスケートボーディングが、じつは、 現代建築の資本主義的性格への批判であり、飼いならされた、陳腐化した日常 生活への抵抗であり、それらに代わる新たな生き方としての「カウンターカル チャー」であることを、当のスケートボーダーたちの経験、彼らの身体と肉声 をとおして鮮やかに描き出した独創的な作品です。
昔私の住んでいた街でこんなことがあった。
その街でもご多分に漏れず、街のあちこちに「スケートボード禁止」の看板が目立つようになった。駅の階段の手すりや病院のスロープでは…そりゃそうだ、そんなところでスケートするほうが間違っているから、だけど、公共の公園からもスケーターは閉め出されていった。一部の、ベンチや花壇を削るスケーターのせいで。滑る場所をなくしたスケーターは、人の目を避けて夜中などに人通りのあまりないところで滑るようになった。となると、まあどこにもバカはいるもので、アウトロー気取ったバカなことをするヤツも出た。
「ほうれみろ、スケーターはボーダーは、そんなやつばかりなのさ。あいつらをこの街から消してしまえばこの街もいくらか良い街になるだろうよ!」
一部とはいえ彼らも“身内”。スケーターたちは身内の非礼を詫びて(誰がやったかは知らないけど)、自分たちに滑ることができる場所を下さい、とお願いした。しかし誰も取り合ってくれなかった。スケーターたちはチラシを作ったりラジオで呼びかけたりして、オトナたちの理解を求めていった。
そんな折、ある公立美術館の館長さんが、その美術館の屋外展示場兼公園でのスケートを許可する、との声明を出したのだ。条件は、展示品を傷つけないこと、ベンチの上にスケートで乗らないこと、それから屋外イベントのあるときはスケートをしないこと、という、条件と言えないくらいの常識的なものだけだった。
館長さんは言った、もはやskateboardingはアメリカン・カルチャーの一部であり、重力や不自由さに抗いジャンプやスピンをする様は身体芸術のひとつになったと言ってもいいだろう。ならば、美術館としては守りディスプレイしなければならないと思う。それに、彼らから滑る場所を奪って何が面白いというのか? Skateboarding is not a crimeだ、今我々大人が、正しい論理の展開を見せてあげなくてどうするのだ、しかるべき場所があればみなそこで滑るようになるのではないか、と。
その美術館は、かつて、とあるイギリスのロックミュージシャンがアーティストと恋に落ちバンドを脱退した際に、バンドを破滅においやったとして非難にさらされギャラリーから締め出しを食らったそのアーティストに、エキシビジョンの場を提供した美術館でもあった。
かくして、その街のskateboarderたちは、整備された照明付きの公園で、ヘンリー・ムーアや中国のでっかい壺や噴水の横(そこは市の警察署の横でもあった)で思う存分スケートを楽しめることになった。私は、夜の公園で自分よりも年下の“センパイ”たちにスケートを教わり、代わりに算数や理科の宿題を見てあげたり、夜遅くなりすぎるとgive a rideしてあげたりした。すると、それを支援する企業があらわれ、ボランティア団体もでき、新しいすてきなコミュ二ティーができあがった。子供達と対話する大人のコミュニティーだ。最初は誰だって滑れなかったのに、キミはこんなに練習して滑れるようになったんだ、算数なんてメじゃないはずだよ、なんて話をするのだ、夜の公園で。
今でも、夜、噴水の音が聞こえる公園に来ると、その向こうにスケートの音がないか探してしまう。あの人なつこい笑顔がないか探してしまう。ここはあの街じゃないってわかっていても。