街についてのet cetera

NYを離れてから随分と経ってしまったけど、私は今でも、NYを舞台にした映画や本は必ずチェックしてしまうし、テレビのちょっとしたニュースの中で私の見知った街の映像が流れると思わず手を止めて見入ってしまう(ケーブルテレビではCNNやたまにNY4は見られるけど、NBCの朝のニュースは見られないのがちょっと寂しい)。

他にも、アメリカだったらボストンとかシカゴとかフィラデルフィアとか、コロラドの山間の街のデュランゴ、クレステッド・ビュート、Mt.Hoodウッドストックとか。ベルギーのブリュッセルリエージュルクセンブルグも。その街が目に耳に入ると、私は、その映像や音を見ながらその街の私のストーリーを思い出す。

一度でも行った事のある場所だと、その街の音とか空気とか匂いとかをきっかけにして、画面とか音から文字からその街をイメージすることができる。画だけ、音だけ、文字だけしかなくっても、どれかがきっかけになれば、ふわああっと全てを思い出して、そこに新しいストーリーを乗せることができる。まあ、実際とはちょっとちがっちゃうかもしれないけど、実感できるようになるのだ…不思議だ。

じゃあ、知らない街についてのことだったら…どうだろう?

知らない街について思いを馳せることも、また、楽しいのだ、実は。ネロとパトラッシュのいたまちフランダースジロ・デ・イタリアの行われるイタリア、ジャッキー・チェンの香港…行ったこと、ないけど、登場人物や主人公を通して、私はその街を知る。行った気になるというのはまたちょっと違うんだよね。ああそうなのか、と、知る、というか。ああそうなんだろうなと納得すると言ってもいいのかもしれない。

その街と私を結ぶ人、とか物、とかは、とても重要だ。その人とか物で全てが決まってしまうのだから。


そして今私は、私のまだ行ったことのない街「パリ」と、偶然にも一日の多くの時間を過ごすことになった街「下北沢」についての冊子を読み、その街について想いを馳せる機会を得ている。


パリについては、もうずっと友だちのトモコちゃんが、今月から始めたフリーペーパー『CITOYEN DU CINEMA』。

フリーペーパー『CITOYEN DU CINEMA』始めました。

HPでPDFで配布中。PDFを開いたときに、これはプリントアウトして読みたいなと思って、すぐプリントアウトしてみた、そんなフリーペーパー。今時、プリントアウトしたものをちゃんと冊子にして見てね、っていう体裁のフリーペーパーは珍しいと言っていいのでは? だいたいはweb上で見てね、だよね。プリントアウトしてもペラ一枚か、それに両面か、だ。内容をちらちらと盗み見(?)しながら冊子を作るのは楽しかった。

映画という、時間と場所と感情を閉じ込めることのできる装置を通してパリを知る。トモコちゃんの紹介してくれた映画は、そうしようと思えばここ東京で見ることができる(映画館で見るのはちょっと難しいけど)。それは、パリの映画館で見るのとちょっと違うんだろうな、と、思わせてくれるトモコちゃんのテクストが心地よい、のです。


下北沢については、“先輩”な仲俣さんが編集・ライターとして参加してる『路地』

私に取って下北沢の隣の世田谷代田駅の近くに、記憶にないくらい小さな頃に短い間だけど住んでいたことがあるけど、下北沢は知らない街だった。東京に前に住んでいたときとUSから帰ってきてからは月に1度は、演劇だのライブだのなんだので「通う街」だった。それが急に、毎日通う街、になるとはね。夜ライブにしか来た事のなかったお店にランチを食べに行ったり、何回も行っていたけどどこかよそよそしかったカフェの店員さんに声をかけてもらったりするようになった街。これから知ろうとする街について、この街をよく知っている人が語ることを読み、今自分が感じていることと照らしてみることは、ちょっと不思議な体験だと思う。ちょっとない体験だと思う。この機会を多いに楽しみたいと思っています。