佐野元春 & HKB TOUR 2008「SWEET SOUL, BLUE BEAT」@NHKホール

ツアーファイナル。
この言葉を聞くといろいろな思いが胸に去来してぐっとなるくらい、なれるくらい、私もオトナになった。

ホールの階段を上がったところに貼られたポスターに列挙された、都市の名前とホールの名前。その街に佐野さんが行き、バンドのメンバーが行き、機材が人が行き、セットが組まれリハーサルが行われる。ホールにお客さんが集まる、ステージの幕が上がる。ライブ。歌声と熱を帯びたホール。やがて時間が来て幕が降り、お客さんがホールから去り、まだ興奮冷めやらぬ中撤収作業が始まり、佐野さんとメンバーとスタッフと機材は次の街へと移動する。その街で眠る夜もあるし、次の街へと移動する夜もあるかもしれない。その土地の美味しい物を食べておいしいお酒を飲む夜もあるかもしれない。一旦東京へ戻ることもあるかもしれない(HBKのみなさんはいろんなバンドのサポートもしているし、ご自分のプロジェクトがある方もいるし)。いずれにしろ、何日か後には、どこかの街に集まって、またステージの幕が上がる。

そんな日常に終りを告げる夜、それがツアーファイナルのステージ、なんだな。ポスターに列挙された都市の名前とホールの名前を見て、その街その街で起こったもたらされた人々の多くの営みを思うと、他人事ながらぐっときてしまう。そしてその最後夜に自分が立ち会えることをほんと幸運に思いました。


一ヶ月ちょい前に神奈川県民ホールでのライブを見た/聞いたとき、このライブのあまりの完成度に度肝を抜かれたものでした。これが一ヶ月後にはどうなるのだろうととても楽しみにして今日を迎えました。あれから一ヶ月…私にはいろいろなことがありました。佐野さんとバンドメンバーのみなさんにも、ツアースタッフのみなさんにも、いろいろなことがあったように(HKBのベースのトミーさんにブログを見ると、神様はこの人に1日にもう6時間くらいくれてやってもいいのではないかと思います)。神奈川県民ホールへ向かう道すがら、外で並んで待っているとき、とても寒かったのに、今日は、渋谷の駅からホールへ歩いて行く途中、ちょっと駆けてみたりしたら汗をかいてしまって、ホールに着いたら半そでがちょうどいいくらいでした(ホールの中はまだ暖房が入っていて暖かかったし)。

今回はちょっと前の方で見ました。ファンクラブ先行予約で取った席です。つまり周りはみんなファンクラバー(と思われる)。

今回のツアーのオープニング、私はとても好きです。前にも書いたけど、佐野さんでなければ出せない音を、あれほどよく、しかも静で演出するなんて、ニクい、ニクすぎる! これは、音だけだったらパックすることができるかもしれないけど、わあっという驚きの声やざわめき、そしてそこかしこから聞こえてくる佐野さんと一緒に歌っている声、それらを包むウーリッツアーの音と佐野さんの声…はパックすることができないだろうなあ。激しさやrunning感はないけれど、グルーヴは確かに有る、という意味で、ここにもひとつの確固たるライヴ感があるなあとおもいました。

演奏は、神奈川県民ホールでのライブのときから更に変わっていました。あのときはこれで完成されている!と思っていたのに…! まとまっていることや揃っていることの上にもうひとつ、演奏者ひとりひとりの個性がくっきりと見るようになってきていました。長いツーアロードの中で冴え際立ってきたものなのか、それとも、1st waveを神奈川県民ホールで受けていた私が多少余裕を持って音楽を聴く事ができたからなのか、どちらかはわかりませんが。個人的にはもっとベースとドラムのソロも聞きたかったかな〜。シータカさんのドラムは今日は、本当に裏方に徹しているような気がしました。でも、あの個性を束ねていたのはあのドラムだな!いちばんおおきな音が出る楽器がみんなを束ねるのです、そりゃあでっかいうねりになるはずです。うーん、あと、マイクの音量はもっとあってもよかったかなあ〜。コーラスとの兼ね合いを考えるとあれがベストの音量だったのかなあ…。すごいぴたっと来るときと、もっと聞こえてて欲しい!というときとありました。私は、神奈川県民ホールではただただ圧倒されて聞いていたけど、今日は一緒になって楽しめている感じが強かったのは確かです。

っていうのは、ファンクラバー席、っていうのも大きいな!と思いました。心置きなく大騒ぎできたので! 休憩時間にとなりの方に「指笛、お上手ですね〜」なんて言われちゃいました(^_^;)> (ちなみに私は4本指で鳴らすスタイルです。富士ジャズフェスティバルに行った時に父親に教えて貰いました。何歳の時だっけっかなあ…)佐野さんのMC、それからその他いろんなことによく笑いました。HKBのみなさん本当に多芸で。ちょろちょろっと弾いたビートルズとかストーンズとかツッペリンとかだけでも素晴らしかったなー。こんなミュージシャンに買われた楽器たちは幸せだなとすら思いました。

今回、ホーボーキングバンドのみなさんのスゴさを実感したのは、途中の15分休憩の後まだ客電が落ち切っていないうちに始まったインスト。会場のざわめきが一気に静まり、あっという間にお客さん全部を取り込んで手拍子をさせました。投げられたノリに乗って、ちゃんと返す会場のお客さんもスゴいな!と思いました!

そうホントに、これは1つだけちゃんと言えることがあるんだけど、私はいつも、佐野さんのライブの時、自分の左右に座る人に恵まれるのです。自分の前後に座る人に恵まれるのです。いつもとても素敵な人が近くにいて一緒にライブを楽しんでくれるのです。誰に言えばいいのかわからないけど、ありがとう。だからいつもいつも、その人たちのお陰もあって、とても楽しい時間が過ごせるのです。

2度目なので、だいたいいつどんな曲が演奏されるのかわかってしまうのだけれど、何度聞いてもどきどきする瞬間ってあるものです。

「もし歌詞を知っている人がいたら、一緒に歌って」、

『Someday』。

10代には10代の、20代には20代の、30代には30代の、そして40代50代、それぞれにそれぞれの「いつかきっと」がある。佐野さんはそう言葉で言っていました。それを言葉を使わないで知る術があるとしたら、ライブの客席で『Someday』を歌うことだと思います。佐野さんの声を聞きながら、いろんな人の声を聞きながら、記憶に優しく寄り添う音を聞きながら、『Someday』を歌うこと。ああほんとうにたくさんの『Someday』があるんだなあと思うです。そして、自分の『Someday』も。それから、遠くを見つめながら歌う佐野さんの『Someday』。何年かしたら私も、佐野さんが見ている『Someday』が見えるようになるのかな。今はまだ見えないけど。

今日は、私にも、いつもと違う『Someday』がありました。

「 いつかは誰でも
愛の謎が解けて
ひとりきりじゃいられなくなる

いつもはふつうに歌って“素通り”していた言葉だったのに、今日は、この言葉を聞いたとたんいてもたってもいられないというような衝動に駆られて、何かにそうされたように客席の方に振り返った。立ち上がって振り返りたかったけどそれを押さえてゆっくりと振り返った。3階席まであるホールの客席の客席じゅうの人の声がこちらに向かってくる中、私は、自分の声を届けたい先があることをはっきりと自覚してホールを仰いだ。でも、どこに、とは思わなかった。どこかを探すこともしなかった。どこかはっきりとわからなくてもよいような気がした。このホールの中のたくさんの歌声の中に、私の届けたい、たったひとつの先があるんだ、と、わかったことが重要なんだと思った。さっきまでわからなかった、気がついていなかった、こと。

オー・ダーリン こんな気持ちに揺れてしまうのは
君のせいかもしれないんだぜ 」
  --- 『Someday』

この言葉、ずっと知っていたのになあ。今日、今になって気がつくなんてなあ。私は、いつもよりも大きな声で歌っていたと思います。私の声、届いたかなあ。届かなかったかも。でもsomeday, I will。

希望、希望だってそうだ。希望ってただ言っても流してしまっている言葉だったけど、なんか、こうやって歌って噛み締めると、そして佐野さんが言うと、ほんとな気がするんだよなあ。ほんとこうやって、佐野さんの方を向いて、ちゃんと歌えるような人間でありたいよ、自分、と思いました。いつでも、いくつになっても、噓で胸が苦しくならないで、こうやってたくさんのみんなと、また歌えるように、ちゃんと人間していきたいなと思いました。


あーあ、これでまたしばらく佐野さんのライブがないのはとても寂しくてつまんないけど、それまでたっぷり、考えたり、聞き直したりする時間をもらったのだと思って次のライブを待つ事にします。