お誕生日という奇跡

この数日間、私は、とても刺激的な制作現場にいた。睡眠時間が4時間をきっても、その一部始終を見ていたいと思えるような現場でした。

あ、いました、っていうのは正確ないい方じゃないな。誰もそこにはいなかったんだから。みなバラバラなところにいて、場はネットにあった。私達をつなげてバーチャルに場を提供していたのは、Skype。そこにびゅんびゅんと流れる会話とコードとグラフィックスと。それらがどんどん組み合わさって、ときには議論が起り時にはダジャレが飛び交いする中、一枚の契約書も行程見積表も出されないまま、プロダクトがリリースされた。

そのプロダクトの目的は? 「お誕生日おめでとう!」を、とっても大好きな大切な人に伝えるために。他の人のお誕生日おめでとうの気持ちを届けるために。そして、おそらく、それになんらかのリアクションをくれるだろうその人の「ありがとう」を今日一緒におめでとうの気持ちを分かち合ってくれた人に届けるために。

ログが、がっ、ががっ、と流れて行くのを眺めながら、昔よくこうやって宿題をやったりプロジェクトをやったりしていた日があったことを思い出しました。端末から“宿題サーバ”にアクセスして、whoコマンドを打って、みんないるいる!を確認するのがまず最初(笑) そのうち誰かからチャットが入る:「問2は解けたんだが、問3はお手上げだ。誰かできたヤツ、いるの?」。ときには、実際に夜中のラボで集まって、あーだこーだ、じゃ私はこれ試してみるわ、とか、やっていた日もあったことを思い出しました。あゆうのはもう、私は失ってしまったものと思っていました。

何度も何度も胸が熱くなる瞬間がありました。

実は私は先週からこの課題に取り組んでいたんだけど、どうにも進まなかった。終電間際で家に帰ってきてから「おは4」が始まるまでどころか終って「ズームイン!」になるまでやっていても終らなかった。それが、この数日で、すっかり、しかももっと堅牢なものができあがってしまった。まあ前に作ってあった資産を使ったっていうのもあるけれど、それにしても、このプロジェクトに携わったみなさんの集中力と能力の高さ...プログラミングの能力はもちろん、コミュニケーションの能力の高さも...には、自分の本業と言われる別な現場での状況と照らし合わせて、ほんと、感動を覚えて胸が熱くなりました。

と、同時に、この圧倒的な能力の差に、愕然として、胸が痛さで熱くなりました。実は他にもやりたいことがあったのに。実はこうじゃなくってこんなふうに実現したかったのに、っていうのも、あったんだけど、でもそれを上手く説明できませんでした。もちろん自分で作ることもできなかった。悔しい、というか情けなくて。自分でもがんばっているつもりだけど、振り返って見ると、効率悪くて、成果はなくって。まあ、がんばったのに認めてもらえない!無駄とか言われた!と言ってキレた人も別件でいたけれど(^_^;)(しかも仕事で、ですよ)、やっぱり「功なくして労なし」だよなあと思った。そして、功が出ない私は、一体何をやっているんだ、と。

それでも、涙だのなんだの振り払って、私は進まなきゃいけないんです。だって来年もお誕生日はやってくるんだから。そしてそのときに、今日のままの私でいたくないから。今日と同じ思いはしたくないから。自分でもいやになるくらいじたばたしてて進んでいなくて。目標はははっきり見えているしやりたいことも見えていて、何をすればいいのかだってわかっているのに、やってもやっても追いつかない、追いつけない。

でも、まあ、プロジェクトに参画したこのメンツはどう考えてもステキすぎです。有り得なさすぎ。かつてA社から発売されたNという端末のプログラミング界では知らない人はいない某氏、日本語検索エンジン開発でこれまた知らない人はいない某氏、とある分野のサーバ管理と開発ではこれまた知らない人はいない某氏、etc., etc., ...。これも「主賓」の人徳のなせる技、なんだと思います。

来年こそは、来年こそは! そのためには、今日から。涙を拭う手があったらwrite some fuckin' code, 自分!



そして、何度でも何回でも、言わせて下さい。お誕生日、おめでとうございます。あなたが今ここにいて、私が同じ時代にいれたってことだけでも十分奇跡なのに、まだこんな奇跡を見せてくれて、ありがとうございます。