ぐう、ぜん

別にどおってことない普通の土曜日の夜。私は新宿から総武線に乗って阿佐ヶ谷に移動していた。電車は、ぎゅうぎゅうではないにしろまあ程よく混んでいて、私は右手でつり革を持って立っていた(左手で持つと、左隣りの人と肘が当たっちゃうからね)。

車内には、時折響くアナウンスと、駅に近づく度に駅から遠ざかる度にBPMが変わるグランドノイズのループ。遠くでこっそりとケータイで話している人の声が聞こえた。「だからあ、今電車の中なんだってば。かけ直すから。うんうんわかったから!」といった会話がやけに車内に響く。

と、私は、私の右斜め上からシャカシャカと音が聞こえてくるのに気がついた。右隣りには私より頭ひとつぶんくらい大きなお兄さんが立っていて、割とデカめなテクニークのヘッドフォンをしていた。シャカシャカはそのヘッドフォンから聞こえてきているっぽかった。

こういうのって、一旦フォーカスがそっちにいっちゃうともう外せないんだよね(^_^;) まあ私はあんまりこういうの耳障りに思わない性格なので(在米時代に鍛えられたものと思われる)いいんだけどさ。ちょっと松坂投手に似た、でも松坂投手よりは体脂肪は多そうで筋肉は少なそうなお兄さん、だらっとつり革につかまってしれっと立っていた。外まで漏れ聞こえてくる音をヘッドフォンで聞いているにしてはしれっとしていた。ふうむ、何を聞いているのかねえ…お兄さんがぽちっとiPodのボタンを押したタイミングで、私はもうちょっとシャカシャカに集中してみた。

あ、ギターの音だ。

その、出だしの音、ギターのリフには聞き覚えがあった。続いて重なるリズムラインも知っている音だった。ええええ?!と全身耳にして聞いているところに、聞き覚えのある声で記憶の中にある言葉が聞こえてきた。

こ、この曲、知ってる!

妙な緊張と動揺を覚えて「おおお、もちつけ自分!」と心の中で言いながら、さりげなーくケータイなんかポケットから取り出してメールなんか打ってみたりして、正面の車窓に映っているお兄さんを確認した。お兄さんは相変わらずしれっとしていた。どどど、どうしよう、すっげー偶然じゃない?! え、だって偶然乗った電車で偶然隣りに立った人がさ、自分の好きな曲聞いてたんだよ、この人ももしかしたらこの曲好きなのかな、とかさ、気になるじゃん気になるじゃん、でもどーやって話しかけるよ、あのうアナタのシャカシャカ聞いてたんですけどーとか言うの、それ変な人じゃん絶対変な人だって思われるよ不審者だよ、あああでも…!!!

がくがくぶるぶる。汗びっしょり。

と、お兄さんが急に、ヘッドフォンを外した。し、心臓が止まるかと思った。

お兄さんの隣りには、お兄さんよりだいぶ背の低い感じのお姉さんがいて、「ね、どう?」みたいなことを、こそこそっとお兄さんに話かけていた。お兄さんは相変わらずしれっとして、ぼそぼそっと何か答えていた。

は、はー話しかけないでよかったー(^_^;)

その後は自分の心臓の音が大きすぎて二人の会話はよく聞きとれなかったけど、お姉さんはその曲を友達から教えてもらったこと、アナタ(お兄さん)がワタシ(お姉さん)に教えてくれる曲と似ているところがあるからたぶんアナタも好きなんじゃないかなあと思ったこと、来週このバンドのライブがあるから一緒に行こうよ、といったことを話しているようだった。

あっ、私もそのライブ、行きます!

って言いたい気持ちをぐっとこらえたところでちょうど阿佐ヶ谷に着いた。慌てる必要は全くなかったけど慌てて電車から降りた。ホームの上で、しばらく、左手にぐっと握りしめたケータイを見ながらぼーっとしてしまった。別にどおってことない普通の土曜日の夜のはずだったのに。ヤヴァイ、今日はうまい酒が飲めそうだ、と思った。

こんなことがあるために音楽好きなわけじゃないけど、ね、でも。