ドーミエの『山中のドン・キホーテ』

ドン・キホーテは多くの画家が好んで描いたモチーフで、ドラクロワとかピカソとかドン・キホーテを描いているんだけど、私は、ドーミエの『山中のドン・キホーテ』が好きです。おもちゃみたいな青い空と、遠くにぽちっと見えるサンチョ・パンサが、またよい感じで。

ドーミエの『山中のドン・キホーテ』はブリヂストン美術館@東京駅近く、にあります。

で、ドーミエの『山中のドン・キホーテ』を見ていつも思うのは、「ドン・キホーテ知ってる?」っていうと誰もが「知ってるよ」っていうと思うんだけど、ほとんどの人がミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラの『ドン・キホーテ』、すなわち元ネタを読んだことがないんだよね。多くの画家ばかりではなく、音楽やバレエや演劇をする人にも影響を与えた『ドン・キホーテ』なんだけど、ストーリーばかり先行してしまって、『ドン・キホーテ』の細部宿るであろうそのスゴさみたいなものを味わうことなく"知った気"のままで終わりにしてしまっているのだ。

って、実は私も読んだこと無いんだー。中学のときかな、えっらい意訳超訳されたものを読んで以来、"知った気"のままで終わりにしてしまっている。

ドーミエの『山中のドン・キホーテ』を見るたび、私は自分を残念に思う、ドーミエにこんな絵を描かせた『ドン・キホーテ』を私は知らないということを残念に思う。私も『ドン・キホーテ』を読んだら、こんなふうに突き動かされるような感情を持てるのだろうか。

今日、2年振りにドーミエの『山中のドン・キホーテ』を見たその帰り、いつもその絵を見た後考えることを考えながら山の手線に乗っていたら、とある駅で電車に乗り込み座っている私の前にすっと立ったお兄さんのその手に『ドン・キホーテ』があった。

いたよ、ここに。

赤い表紙の小さなハードカヴァーの本で、上巻だった。図書館の分類のシールが背表紙に貼ってあった。随分と古くなっている本だった。お兄さんは、ときどき無精髭に手をやりながらページを繰っていた。

私の方が先に電車を降りた。お兄さんは私が座っていた場所に座った。ちら、とお兄さんを見たら、一瞬目が合った。何故だかわからないけど、負けられねえ!と思った。あの目に負けられねえな。今は焦って何かをできる状態にないけど、でもできることがあるはず。私の忙しいなんて屁でもないぜもーっと忙しい人知ってるし!…術後検診を無事クリアーしたってこともあって…自然と歩調が速くなるのを感じた。