朝日新聞「君へ」

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ちょっと前、朝日新聞で、「いじめによる自殺、事件があとをたちません。先輩からのメッセージをお届けします。みなさんはどう受け止めますか?」という連載がありました。毎日、各界著名人が、短いがしかし語るには十分な文章を寄せていました。

語るって何を?…その人を、そしてその人の想いを。

自分で書いたもか誰かがインタビューを取って書き起こしたものかが気になりますが、文体から見て自分で書いたものかなと思います。短い文章なだけにごまかしのきかないその「人」が出ているような気がします。その人の業績だったり、その人の社会的な立場であったり、とかから、ああこの人がいうと重みが違うな、と思わされます。こんなに短い簡素な言葉なのに(おそらく、小学生が読んでもわかるような文体にしてあるのだと)。その逆もあります。この人はこんなことしか言えないのか?!…折角新聞の、多くの人の目にとまるところを使ってとても大切なことをいうのに、こんなことしか言えないのか、ほんとうにこの人にはこの問題が解っているのか、この問題を真剣に考えたことがあるのか、と…。

もうひとつこの連載で特異だと思ったのは、文章が「いじめられている君へ」の応援文ばかりでなく、「いじめている君へ」という視線も一緒に連載していたこと。これを前期・後期みたいにわけちゃわなかったのはよかったなと思いました。ときどき、先に文章を読んでからはっとして、これはどっちの視線だったのだろうと考えたことがあります。実はそれくらい、「いじめる」「いじめられる」の差は危ういものなんだなと改めて思い知らされました。

私なら何が言えるのだろうか。何か言えるのだろうか。

秀逸:
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