ジュピター/平原綾香


帰りに寄る所があったのでちょっと早めに(定時後だけど)オフィスを出て、の、五反田駅のホームは、吹き抜ける風が気持ち良く、私はホームの端に立って空を見上げていた。口笛を吹いてみる、小さな音で。

Every day I listen to my heart
ひとりじゃない
この宇宙(そら)の御胸(みむね)に抱かれて

ふと気が付くと、私の隣に立って電車が来るのを待っているお姉さん(と言ってもたぶん私よりも年下)が、迷惑そーな顔をして立っていた。私の立っていたところはちょうど電車の降車口だったということは、そのとき気が付いたのだが、私には別に退く理由はなかった。

いいじゃんかよー、口笛くらい好きに吹いたってよー。

お姉さんに気が付いた私を、お姉さんは気が付かない振りをしていた。私は急に、何か言わなければと思った。

「あれがジュピターです」「えっ?!」とお姉さんが言った。今度は私が気が付かない振りをして、続けた。「あの月の、左斜め上のところに白く明るく光っている大きな星があるでしょう、あれがジュピターです。地球から、っていうか太陽から、ええと、どれくらい離れているんだったっけかなあ。その下の小さく光っている星がアンタレスで、さそり座で一番明るい星です。ジュピターと月が、サソリの、この変辺とこの辺にあるみたいな形でサソリがあるんです。で、この辺に、ばああっと天の川があるはずなんですけど、ここじゃあ見えないみたいですねえ。」

「あのっ」とお姉さんが急に言ったものだから、私はついそのお姉さんの顔を見てしまった。「あのっ、私、『ジュピター』すごく好きで、あの私にとってはとてもとても大切な歌なんですけど、でもあの私、ジュピターって見た事なくって。どれかもわからなくって。そんなに大切だったら調べればいいのに、私ダメなんです、そういうの、いつもいつもほったらかしでできなくて、どうでもよくなってしまうんです」

「あ、でも、今、わかったでしょう。あれがそのジュピターですよ。時間と共に少しずつ場所動いていきますけど、でも、明日も晴れていれば今と同じ時間にあそこらへんに見えるはずです。で、日と共にも少しずつ場所変わっていきますけど、でもまあ1回見つけられると案外次も見つけられるもんですよ。」

と、ホームに電車滑り込んで来て、私達が立っている位置から月もジュピターも見えなくなった。私は黙って電車に乗った。お姉さんはまだホームにいた。あれ?と思って振り返ると、お姉さんは「私、もう一度見てからにします」と言った。そして、「あの、ありがとうございました」と言って素早くお辞儀をした。あ、いや、なんでお礼? あれ、何だったんだっけ? 電車のドアが閉まって、電車が走り出した。この電車がホームからすっかり抜け出したらお姉さんはまたジュピターを見る事ができるだろう。

私は私のおまじないの言葉を思い出した。このおまじないは無意識に出てくるし本当によく効くので、今度このおまじないを教えてくれた人にこのことを言わなければ、と思った。

Why can't we be friends?
Why can't we be friends?