SUEMITSU & THE SUEMITH Grind Piano Recital 007 "The Piano It's Me" @ ebisu LIQUIDROOM

SUEMITSU & THE SUEMITH、これが初ワンマンなのだそうです。CDを始めて聞いたときからずっと、これを生で聞いてみたいと思っていました。

ざあざあ夕立の降りしきる中ebisu LIQUIDROOMへ。整理券ナンバーは後ろの方だったけど、あまり前で見るつもりはなかったのでまあゆっくり会場入り。会場では、整理番号順に入場誘導が始まっていた。ロッカーに荷物を放り込んで軽く運動できるくらいの薄着に着替えてタオル持って入場。

ステージ正面には大きな白い薄い垂れ幕が掛かっていて、時々中で人が通るとふさあっと揺れていた。客入りは、なんとなく予想はしていたけどクラッシックがかかっていた。ピアノだけのじゃなくて、管弦とか、弦楽とか、1楽章ぐらいかもうちょっと短めのサビのところだけ少しずついろいろかかっていた。ベートーヴェンとか、ええとあれはシューベルトだったかな?

ぐるりと辺りを見回すと、実に、いろんな意味で幅広い客層だった。高校生くらいの女の子のグループから、マスキュラーなB系お兄ちゃん2人連れ、母子や父子連れ、ちょっとお年を召したおばさまのグループとか、いろいろ。ああこの人クラッシックの人っぽいなーと思われる人から、金髪鼻ピアス、OLさん、サラリーマン、もうほんといろいろでした。みんながそれぞれ、自分の隣に立っている人の様子をなんとなく伺っている様子が、開演までの会場内の空気を漂っておりました(笑)

やがて、「本日は、スエミツ・アンド・ザ・スエミス、グラインドピアノリサイタルゼロゼロナナ、ザ・ピアノ・イッツミーにご来場くださいまして、誠にありがとうございました。…」という、コンサートお決まりのアナウンスが流れ、会場内のあちこちからくすくすと笑い声がこぼれた。ぽかーん( ゜Д゜)としている人も、いました。そして今日はライヴでもなくコンサートでもなく、リサイタルなんだっけ、と思い出す。

気がつくと、会場にはベートーヴェンの第九が流れて、垂れ幕にはベートーヴェンの顔が。客電が落ちると、第九の有名なサビの合唱のところがスピーカーからがんがん流れてきた。うお、さすがデカいスピーカーで聞くといいなあ! もうこれだけで来た甲斐があったな感が満たされました。何処からともなく手拍子が上がり、会場中の人が第九で手拍子。普通のクラッシックのコンサートじゃ有り得ない! おいおい、ここは7月4日のボストンかっ! と、やがて垂れ幕のベートーヴェンがめらめらと燃えていく。アニメーションとはいえ、人の肖像が燃えていくのを見るのはあまり良い気持ちがしないなあ、と思いつつ見ていた。なんかちょっとビル・ヴィオアラのインスタレーションみたいだなとも思った。

オケが、ジャン!と終ると、ばさあっと幕が落ち、ステージが白く光った。光が落ちそこに見えたのは、ステージ中央前面にどーんと鎮座するグランドピアノ。ピアノがあるだろうステージだってことは解っていたけど、やっぱり目にすると、あっ、ピアノだっ、と驚いた。驚いたと実感するのと同時に、ずがーんと音が来た。1曲目。

やっぱりCDで聞いたのよりは空気感が違う! CDに閉じ込めきれなかった音が空気に足下にびりびり伝わってきた。ライヴだ、と思った。

あのピアノの音、あれは、ある程度きっちりと音楽的教育を受けた人の音だと思った。先人が長い時間かけて積み上げてきた労苦を、教育という形で受け取って、自分の中で形にする努力をした人の音だ。年月が探しあてた、たぶん、人間誰もが持っているのだろう心地よさとか熱さとか、そういうものが発動されるに必要なテクニック。ピアノを全然知らない人が聞いても、あれっ、と思う何か。そういうものを引き出す装置としての、ピアノ。スエミツさんは、それを知っているのだなあと思った。「型破り、であるためには、型を知らなくちゃならない」って言っていたのは、誰っけ? 彼は型を知っているのだ、そして、今、今日、瞬間芸術の力を借りてその型を破ろうとしている、と思った。

打楽器としてのピアノ、というスタイルは、確かに今までだってあった、ジェリー・リーとか。でも、ピアノは響くけど、スエミツさんのもうひとつの楽器、声は、どことなく優しくてまあるくて、メロディアスな楽曲にふんわり乗って。どんなにシャウトしても、ふわわんっと響く感じだった。他の楽器にかき消されてしまうのではないかとハラハラもしたけど、楽器の王様ピアノとしっかりタッグを組んでいるのが解って(だって演奏しているのは、ピアノも声もスエミツさんだ)ほっとしたりして(^_^;)

ステージ上の配置がまた独特だった。フロント、むかって左もちょっと占領する形でグランドピアノがあり、スエミツさんと正面むく形でドラムがセットされていた。そうか、ドラムが指揮者なんだね。奥に、キーボートとかギターとかベースが、お客さんの方を向いて立つ感じで、つまりピアノを取り囲むような感じで並んでいた。

さて、出だし、がつーんと来たけれど、どこかしっくりこない響きも合わせもちつつ最初のMCまではただただ疾走! ここら辺がファースト・ワンマン・ライブなんだなあ、と思った。MC後、ベースの人がエレキからウッドベースに変えて弾き始めたら、全体がどーんと落ち着き払ってきた。このベースの人、クラムボンClammbon)のミトさんなんだって。MCで紹介されるまでわからなかった。ギターは、エレキだったりエレキとアコギとの組み合わせだったり。全体的にクログレとかフュージョンな感じの、キュイーーーン、っていうギターの感じだった。

前半は、先に発売されたアルバムから全曲やる!という感じで全力疾走演奏し、長い間奏(まさにプログレ)(間奏っていうか後奏)が終ってステージには、1アルバムの1曲目でスエミツさんとほのぼのコーラスを歌っている男の子(ジョンくん、という名前だそうです)とのアカペラ、という演出もありました。CD1枚じゃ2時間持たない、とのことで(笑)、後半は、インディーズ時代の作品からカヴァーまで、多彩な曲でオーディエンスを飽きさせませんでした。大瀧詠一の『バチェラー・ガール』や、スエミツさん曰く「子供の頃聞いてすごい衝撃を受けた。なんか邦楽っぽくなくて。大江千里とか渡辺美里みたいだった」という、少女隊の『Forever』『(曲名忘れた。クインシー・ジョーンズっぽい曲)』のスエミツバージョンなんかも、がんがん弾きまくる。会場の老若男女(exactly!)を巻き込んでいく様は、もう、マジックを見て酔う心地よさに似た楽しさがありました。

最近、某漫画/アニメの影響で、クラッシックのコンサートに今までとは違う客層の人たちが来るようになったのだそうだ。動員が増え喜ばしい一方で、その人たちの"マナー"の悪さに、旧来からのファンは辟易している、と聞く。私も、その一場面に遭遇したことがある。楽章の合間に拍手をしたり、女性ソリストに向かって「ブラボー!」、ですよ。欧米か!っていうかブラボーは男性形ですから〜。どうしてこんなことになっちゃったんだろうね。クラッシックの人たちは、それを、若者はマナーを知らないからだと言うのだけれど、私はそれは違うと思う。これはそんな悲観的な理由からじゃなくて、ちょっとだけお互い、解りにくい"プロトコール"を使っているからだ、と思う。何もしないで解り合えることなんて、ないよ。解り合う努力をしなくちゃ、解り合えないよ。

SUEMITSU & THE SUEMITHのライヴのオーディエンスをごらんよ。みんな楽しんでいるよ。おばちゃんも、お兄ちゃんも、女の子も、白髪のおじさまも。音楽って本来そういうものだったはずだ。言葉だけでよかったら、言葉だけあればいい。言葉だけで表現できたら、言葉だけあればいい。言葉ももちろん、ステキで重要なツールだと思うけど、音楽は、もっともっと広い、深い。それを説明するのに言葉は必要だろうか。(って、もうこんなに言葉を使っているけど私は。)心地よい音の洪水、フロアーにどっとあふれてくるよなドラム、ネックをぶんぶんふりましてリズムをとる細身のベース、ピアノの影で存在感を魅せ詰めるギター、もう一本のギターとキーボードのコーラスがまた、スエミツさんの声とよく合って。そういう音、音、音に、自然と両手を伸ばした女の子と、ちょっと恥ずかしそうにその真似をしてみたお母さんの二人連れの顔をごらんよ。音楽にはこんなことができるんだなあって、思った。うれしかった。

アンコールが終っても、鳴り止まない拍手、みんな"マナー"違反だとわかってはいるけど辞める事ができなかった。それに応えてステージにまた戻ってきてくれたスエミツさん。始めてのワンマン・ライヴ、きっと一生忘れることはないでしょう、と、ゆっくり語り、ステージ袖に消えた。私も忘れたくないなあ、と思った。こういう理解の仕方もあるんだとわかったこと。ピアノってやっぱり、楽器の王様だ!と思ったこと。



http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/suemitsu/



スエミツさんのリサイタルに行ってきたよってことをMNさんに話したとき、MNさんは「スエミツさんは佐野元春さんがデビューしたときに似ています」と言っていた。そうなの〜? 私は残念ながら、佐野さんのデビューライヴ、知らないんです。私が佐野さんを知ったときは、佐野さんはがんがんギターを弾いていました。でも、何が好きかって、佐野さんの弾くウーリッツアーがすごく好きです。佐野さんの弾く楽器の中で一番佐野さんに近い音の気がするのです。