世界は誰の為に? 音楽は誰の為に?

MusicUnitedの「世界は誰の為に」が発売になった。この曲はiTunes Storeでのダウンロード販売でのみ入手可能。
歌詞や2Dアートワークを含むブックレットは、DaisyMusicMusicUnited特集サイトからダウンロードできる。ウチにはカラープリンターはないから、Macの出力ポートにアンプとスピーカーを付けて曲を聞きながら、Macの画面上でブックレットを眺める。

僕たちは、こういう時代に生きている。こういうのもまんざら悪くないな、と思いつつ。

私はわりとパッケージされたものが好きだ。例えば友だちに本を貸すときとか、はい、と本だけ手渡すのではなくて、しおりにと何かカードを挟んでみたり、ページの最後にメッセージを鉛筆で書いたり(消せるように)(って、いつもそのまま消さないで取っておくんだけど)、カバーを付けたり、本を袋に入れて渡したり、する。そんな仕込みをしているときいつもその相手のことを考えている。その、相手のことを考えているときが好きだ。この本読んで、彼は/彼女はどんなことを考えるんだろう。喜んでくれるかな。私から本を借りてくれてありがとう、とすら思う。こんなにわくわくした体験ができるのだから。

パッケージは、手に取れなくちゃだめかというと、そうでもないのだ。例えば、本を返してもらうときに(自分が返すときとかでも)カフェで待ち合わせをして、その本について話す時間を充分に設ける、とかする。その相手が来るのを待っている時間、とか。貸した/借りた本は、貸した/借りた主にその感想を述べ、お茶を飲む。その話をするところまでがワンパッケージなんじゃないの?と思う。

音楽そのものは手に取れないから、時間や距離の制限のある人に音楽を届けるために、いろんな努力をしてきたと思う。時にはいろいろな技術の力を借りて。今まで音楽をリリースする側は、なんとか「ずしっ」とした気持ちを多くの人に伝える努力をしてきたと思う。今、そのやり方について考えるときがきているのではないか、と、最近感じる。

私が今、手にしているものは何もないけど、ぐっと手を握ると、確かに何か掴んでいる感触を、得る。




いつもばらばらで聞いている声が、ひとつのメロディーと共に聞こえてくる、ちょっとくすぐったいような気持ちになる。あー、最初はF沼さんなんだあ。F沼さんの声はほんとうに佐野さんと仲がいい声なんだなあ。山口さんと藤井さんの声がまた野郎っぽくてステキ。佐野さんの声が楽しそうに聞こえる。CMのクリップを見ると、一番うきうきしているのは佐野さんっぽかったもんね。ギターの音、佐野さんの音がちょっとやさしい音に聞こえた。それが歌詞にすごく合っていて、きっと佐野さんの言っていることはほんとうなんだなあ、と思うのだった。F沼さんののびのびギターの音、いいなあ。すごく楽しそうだ。きっと楽しかったに違いない。こないだクアトロで大暴れしていた小松さんのドラムの音が今日はこんなに落ち着いていて、キヨシさんのベースはやっぱりとても安心できて、キョンさんのオルガンはいつだって華があって、ああこれをはやくライブで聞きたいなあ!と思ってしまうのだった。…って、ライブ、あるのかなあ〜。

そう、佐野さんの言っていることはほんとうなんだなあ。私がうなずくよりももっと先に、3人の声がうなずくのが聞こえる。それからギターとかドラムとかベースとかオルガンとかがうなずくのが聞こえる。

ああ早く明日になって、みんなみんなこの曲を聞けばいいのに、と思いながら、白んでいく空を見ていた。



 出口の見えないこの状況で違法コピーの問題をどう考えればいいのか。最近とみに思うのは、音楽の本質は「体験」である、ということだ。音楽は簡単に「コピー」することができるが、「体験」をコピーすることはできない。「だからライブが大事なんだ」という月並みな結論ではなく、どうやって音楽が好きな人たちに、音楽を通してその人個人にしか与えられない「体験」を提供するか、そのことを真剣に考えることが今の停滞する音楽業界のブレイクスルーにつながるのではないかと思っている。リスナーのコピーをいたずらに制限しても、それは「体験」にはつながらない。音楽好きにとっては「コピー」だって立派な「体験」だからだ。ならばリスナーが対価を払っても「体験」したくなるような「コピー」方法を提示すればいい。アップルのiTunes StoreiPodを活用することでそのあたりをうまくやっている。だが、iTunes Storeがすべてではない。もっとうまいやり方だってあるはずだ。闇雲に規制するより先に音楽業界は考えるべきことがたくさんある。


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(ただし「友人まで公開」)

世界は誰の為に? 音楽は誰の為に?

間違いなく言えるのは、それは、この、「わたしの為に」“でも”あるということです。私はそれを知っています。ありがとう、世界、ありがとう、音楽。 

そしてそれがあなたの為でもあることも私は知っています。