「おふくろさん」問題について

ここ数日寝坊をして朝ワイドショーなんかを見る機会があったりした。そうしたらまるで狙ったように、自分に興味のある話題が取り上げられていた。

日本音楽著作権協会JASRAC)は7日、歌手森進一(59)の代表曲「おふくろさん」について、作詞者の川内康範さん(87)から「歌詞に意に反する改変があった」との通知を受け、改変後の「おふくろさん」の利用は許諾できないとする異例の注意をホームページに掲載した。改変後の曲は森も含め、歌えなくなる。
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JASRACは「改変されたバージョンを利用すると、著作権法で定めた同一性保持権の侵害その他の法的責任が生じる恐れがある」などと注意を喚起。語りの入らない「おふくろさん」は、従来通り利用できるとしている。


JASRACが「おふくろさん」に注意 - デイリースポーツonline

で、異例の注意、が、これ。

「おふくろさん」(作詞:川内康範氏、作曲:猪俣公章氏)の歌詞の冒頭に保富庚午氏の作とされる歌詞を付加したバージョンについては、著作者である川内氏から意に反する改変に当たる旨の通知がなされており、同氏が有する同一性保持権(著作権法第20条1項)を侵害して作成されたものであるとの疑義が生じております。

このため、改変されたバージョンをご利用になりますと、川内氏の有する同一性保持権の侵害その他の法的責任が生じるおそれがありますので、ご留意ください。また、あらかじめ、改変されたバージョンが利用されることが判明した場合には、利用許諾をできませんので、ご了承ください。

なお、オリジナルバージョンの「おふくろさん」は、従来どおりご利用になれます。


「おふくろさん」のご利用について - JASRACのHP

JASRACって、私の知る限り、「楽曲を管理してくれるトコロ」だと思っていたのですが、そうじゃないの? つまり、

  • ある楽曲は「これは誰が作ったものですよー、誰に所有権があるんですよー」というのを管理している
  • 誰かがその楽曲を使用した場合、その楽曲の所有者のところに使用料が入るようにしてくれている
  • 誰かがその楽曲を使って「人のフンドシで相撲を取る」的なお金儲けををしていたら、怒る、そういうことができないようにする

という仕事をしているところだと思っていました。

ですが、デイリースポーツの記事を読むと、どうも、

  • ある楽曲が、所有者の意図から反する使われ方をした場合に、怒る、そういうことができないようにする

ということもできるみたいですね。「「おふくろさん」のご利用について」にはっきりと、「利用許諾をできません」って言っているし。JASRAC管理下にある曲は、JASRACが許可してくれないと、使うことができないんでしょ?

と思っていたら、

同一性保持権を含む「著作者人格権」については、JASRACの管理外にある。それはJASRAC自身のホームページにも書いてある。

著作者人格権」は、著作者だけが持っている権利(一身専属性)ですので、JASRAC著作者人格権の問題には関与できません。


著作者人格権 - JASRACのHP

だから「利用許諾できない」とかいうことってそもそもできんの?

「関与でき」ないんじゃないの?


JASRACに「おふくろさん」を注意する権利あんの? - in-between days(id:mohri:20070308:1173301101)

そうだよ! 「著作者人格権」の説明ページを見ると、JASRACには「ある楽曲が、所有者(法律上は所有者ではなくて著作者、とのこと)の意図から反する使われ方をした場合に、怒る、そういうことができないようにする」なんてことはできないのでは?

犯された、という「同一性保持権」とはどんなものか。

同一性保持権(どういつせいほじけん)とは、著作者人格権の一種であり、著作物及びその題号につき著作者(著作権者ではないことに注意)の意に反して変更、切除その他の改変を禁止することができる権利のことをいう...。

著作物が無断で改変される結果、著作者の意に沿わない表現が施されることによる精神的苦痛から救済するため、このような制度が設けられていると理解されている。もっとも、元の著作物の表現が残存しない程度にまで改変された場合は、もはや別個の著作物であり、同一性保持権の問題は生じない...。


同一性保持権 - ja.wikipedia.org

ここで、先ほどのJASRACのHPの「著作者人格権」の説明ページを見てみると、

そもそも著作物とは、それを創作した人の全人格を表したものとも言うことができ、著作物がどのように利用されるかは、単に、経済上の問題にとどまらず、著作者の人格的な問題にもかかわってきますので、著作権法では「著作者人格権」として次の3つを定めています。

◆公表権
著作物を公表するかしないか、公表するとすればどのように公表するかを決めることができる権利。

◆氏名表示権
著作物に氏名を表示するかしないか、表示する場合に本名を表示するかペンネームを表示するかを決めることができる権利。

◆同一性保持権
著作物の改変、変更、切除などを認めない権利。

著作者人格権」が問題になるケースとして、音楽の場合で言えば「替え歌」がその典型的な例ですが、著作者に無断で替え歌にすることは上に示した「同一性保持権」を侵害することになります。「著作者人格権」は、著作者だけが持っている権利(一身専属性)ですので、JASRAC著作者人格権の問題には関与できません。


著作者人格権 - JASRACのHP

この文章の日本語がちょっとよくわからないのですが(すみません)、つまり、

元の著作物の表現が残存している範囲内で「替え歌」されると著作者の意に沿わない表現が施されることによって精神的苦痛が生じるんだよね、だから「同一性保持権」が侵害されたってことになるワケ、つまり「同一性保持権」のスーパーセットである「著作者人格権」が侵害されたってことになるワケ、でも「著作者人格権」は著作者の人格的な問題で著作者だけが持っている権利なワケよ、なのでJASRACは楽曲管理をするトコロであって著作者人格権の問題について何かを管理したりどーのこーのするところではないから関与できないっていうコト。OK?

と言っている、と思うのです。

確かに著作人格権がどうこうという問題はあるかもしれないけど、JASRACはそこに関与できないから、許諾した作品が著作人格権に反する使われ方をするかもしれないことについて内心忸怩たるものを持ちつつも、何も言うべき立場にない、っていうのが本来の立ち位置だと思えるんだよなー。実際にはどうなんだろう、権利者との契約書に人格権が侵害されそうな場合には許諾を拒否する条項みたいなのが盛り込まれてるんだろうか? いやそれが盛り込まれてるんなら問題は…ないのか?


JASRACに「おふくろさん」を注意する権利あんの? - in-between days(id:mohri:20070308:1173301101)

私の探した限り、「権利者との契約書に人格権が侵害されそうな場合には許諾を拒否する条項」は見つけることができませんでした。

さてこの「おふくろさん」のケースについてもちょっと細かく考えてみると、

 きっかけは昨年大みそかのNHK紅白歌合戦。森が2年連続で歌った「おふくろさん」をビデオで見た川内氏は「ワシの作ったものじゃない」と絶句。歌い出しの前に、短い“語り”とメロディーが付け足されていた。

 「いつも心配かけてばかり いけない息子の僕でした…」

 驚いた川内氏が、森サイドに問い合わせたところ、既に他界している作詞家の保富康午さんと作曲家の猪俣公章さんに作ってもらったと説明。しかし、川内氏には一言も説明がなかったため、事情説明の場を17日に設けた。


森進一 勝手に歌詞加えて作詞家激怒 - スポニチ

著作者の一人(One and only oneではない)である川内康範さん(87)が「俺の作ったものと違うふうになっとるやないけ!」と気が付き、「著作者の意に沿わない表現が施されることによって精神的苦痛が生じ」たワケだ、と。

川内氏は、スポニチ本紙の取材に「新たなアレンジは感動的でいい」と評価したものの「なぜ事前に知らせてくれなかったのか。いまだに会って説明しないのはおかしい」と道義的な部分で立腹していることを強調。


森進一 勝手に歌詞加えて作詞家激怒 - スポニチ

ここからだとあんまり「著作者の意に沿わない表現が施されることによって精神的苦痛が生じ」たようには思えませんが…。

それよりも「俺の作ったものと違うふうになっとるやないけ!」がポイントなのではないかなと思います。「俺の作ったものと違うふうになっとるやないけ!」、かつ「なんで作った俺に断りなく作り変えたねん! 先に一言いうてくれてもいいやろ!」、かつ「俺の作ったものよりよくなっとるやんけ! しかも受けとるやんけ! おもろないわ!」なんじゃないかなーと。あ、いや、最後のひとカッコはワイドショーで川内さんが語る姿を見て私が勝手に思ったことなんですけど(^_^;)。

「おふくろさん」は森進一が歌った、いや、歌ってもらったことによってこれだけ世に広まったのだと思います。あの森進一の歌い方、森進一のバックグラウンドを含めて。これは、森進一だからできたこと=オリジナリティーがと思います。そのお陰で川内さんにも印税が入っているわけですよね? もしかしたら、森進一の歌ではなかたら、改変がなかったら、「おふくろさん」はこんなに流行らなかったかもしれません。たられば、ですけど。

オブジェクト指向的に考えると、森進一は「おふくろさん」に対しては歌う()メソッドを実行するのが責務なわけで、改変したことを著作者に許可をとらなきゃいけない責務はないよね? スポニチの記事によると改変したのは保富康午さんと猪俣公章さん、なので、保富康午さんと猪俣公章さんが「あー川内さん、「おふくろさん」いい曲だねえ、だけど森進一が歌うんだったら、こここーゆーふうにした方がもっとよくなると思ってさ、変えてみたの。いいかな?」って許可とるべきだったのではないかな? なにかをすべきであったというのなら。

そのことをJASRACに許可を取る必要は、なかったはずだ。改変版もオリジナル版と等しく「おふくろさん」なので、改変版が使用された際にも川内さんにも「おふくろさん」が使用されたことによって発生する恩恵が受けられるように管理してね、で、JASRACは新たに改変版もオリジナル版と等しく管理する、以上!ではないの?

確かに、改変したことを川内さんに先に言わなかったことは落ち度であったなあと思います。著作者としてはおもしろくないでしょう。でも、先に言わなかったから川内さんにそして「おふくろさん」にリスペクトしていないっていうわけじゃないのではないかと思うのです。「おふくろさんを」よりよく表現するにはどうしたらいいのかと思って改変したのだと思います。私は、森進一の態度や発言からそう確信しました。それが川内さんにわからないはずはないと思うのです。

今のままだと…ゴネている川内さん、見苦しいっすよ、と思うのです。それから、「おふくろさん」は森進一の歌、である以上に、森進一の「おふくろさん」はもはやみんなの歌、なのです。森進一の「おふくろさん」を聞きたいと待っている人に、森進一の「おふくろさん」を返してあげて欲しいと思います。