Mellowhead深沼さんがお勧めしていたゲーム「大神」

Mellowheadのアコースティックライブ@下北沢440トークセッションで、深沼さんがお勧めゲームとして挙げていた「大神」は、これです。
http://plusd.itmedia.co.jp/games/articles/0604/20/news065.html
このインタビューはかなりよいインタビューで、読みごたえがあります。

(稲葉氏) 「ビューティフル ジョー」の開発が終わった時、神谷に“次のネタは何かありますか?”と聞いたのがきっかけです。

そうしたら“大自然を描きたい”という、別の意味で想像していなった答えが返ってきた。印象のギャップってあるじゃないですか? 「バイオハザード」や「デビル メイ クライ」、「ビューティフル ジョー」にかかわってきたクリエイターが、大自然って(笑)。ただ、その発言のギャップに食いついちゃったんですよ。

この(笑)が(笑)でなくなるほど、「大神」は大自然をゲームの中に具現化していると思います。大自然をゲームに込めたい、大自然をゲームに描きたい。そういう想いは誰かから起こっても当たり前だと思います、というかまあそういうことを考える人がいてもおかしくないなと思います。

そしてそれを試みる人がいてもおかしくないと思います。しかし、クリエイターが込めた想いの通りにプレイヤーが想いを感じてくれるようにゲームを作るのは、ほんとうに難しい。いやゲームに限った話ではないのですが、ゲームはいかようにも転びようがあるところにかえって“思いが伝わらなかった”ときの寂しさが大きいと思うのです。今、人文もちょっとだけ作る側にいるので、ゲームをやっていると「あーここはほんとうはこうしたかったんじゃないかな」とか「ここは意図した通りに受けとられていないんじゃないかな」というふうに感じてしまうことがあります。人ごとながら寂しくなってしまいます。ここがゲームの限界なのか、と。

「大神」は、クリエイターの伝えたかったことをこのゲームをやる人にちゃんと伝えることに成功しているゲームだなと思いました。もしかしたら私が勘違いをして感じているかもしれないんだけど、それすらどうでもよくなるような感動がそこにはありました。これはどこから来ているのだろう、どうすれはこのようなことができるのだろう…それを知るヒントが、このインタビューにありました。

(神谷氏)大自然というダイナミックなものの場合、大きいチームでないと表現できないんですよ。

自然に対する畏敬の念すら感じます。

―― ゲームとしてのイメージがわかなかったとのことですが、大神のゲーム性はどのように詰めていったのでしょうか?

(稲葉氏) 僕のほうから神谷に、どのようなゲーム性を持たせるのか考えてくださいと投げました。“きれいな大自然”という作品の方向性さえ破らなければ、後はどう味付けするのも監督(ディレクター)次第ですから。

(神谷氏) “白いオオカミ(大神)のアマテラスが大自然を取り戻すために戦う”。この作品の核となる部分は、最初から揺らいでないです。ただ、その言葉だけではゲームにはなりません。“大神が走るとその道に大自然が生まれていく”というプロモーションビデオをチーム向けに作ったんですけど、それも単なる映像デモに過ぎない。
 僕がスタッフに伝えたのはあくまでイメージの部分だけで、僕の中にもそれをどうゲームにするのかというイメージは、まったくありませんでした。やっていけばうまく作れるんじゃないかと漠然と思っていただけで……。映像を最初に作ってから、ゲームを作っていきましたね。

どこに向かうかということさえきっちりと決めて行けば大丈夫、と思うんですけど、この核を見失わないで進んで行く事がどんなに大変なことか! しかし、クリエイター氏は漠然と走って行きつつもちゃんと着地している…。これは想いの強さなのかそれとも方向性を見失わない心の強さなのか、わかりません。いずれにしろ凄いなと思います。

(神谷氏) …プロモーションビデオで表現したものがAとするならば、できあがった大神もAになっています。ただ、そこに一直線に向かったかというとそうではなく、グネグネした道、しかも途中で戻ったりしながらたどり着いたという感じなんです。そこには大きな苦しみもありました。

―― その苦しみというのは、具体的にどのようなものだったんですか? 2人とも立場は違いますよね? 今だから言える、自分はここに苦労していた、みないなものがあれば聞かせてください。

(神谷氏) 先ほども言ったように、現場レベルでは、やっていけばうまく行くだろうという気持ちで進めていました。が、一向に良い具合にならなかった。作るものが決まっていれば、作業量が多くて大変とかありますけど、そういうのは苦しみじゃなくて単に大変なだけ。苦しみというのは何から手をつけていいのか分からない、手をつけて何かを生みだそうにも出てこない、その中で脳が筋肉痛になるくらい悩み続けましたね。…

「大変」と「苦しい」は違うんだなあ…。

(神谷氏) …ただ、ゲーマーと呼ばれるプレーヤーはそれを簡単に飛び超えちゃうのも事実ですから、そういうユーザーには、余裕のできた分での違った遊び、楽しみ方を見つけることができるように作っています。1本道ではなく、自分には余裕があるからこれを試してみよう、あれを試してみようと、いろんな深い遊びや脇道がある。足りてる感覚の中で、どんなレベルのプレーヤーでも楽しめるというゲームですね。

―― ものすごくユーザーフレンドリーに作っているということですか?

(神谷氏) そうですね。ものすごくユーザーフレンドリーだと思います。そうしつつ僕たちがやりたい、ユーザーを楽しませたい遊び心は別に入れているという意味ですけど。

(稲葉氏) 難易度を低めに、というよりもみんなが届くところにするというのは難しいんですよ。ユーザーはプレイしているうちにゲームに慣れてきますし、それは作っている開発陣も一緒なんです。作っているうちにめちゃくちゃ簡単なゲームになる時期がある。そこで、じゃあもうちょっと難しくしようと言うと、一気に難易度が跳ね上がったりするんです。ROMを作るたびに難易度は変わっていきましたね。神谷は運悪く、超激ムズの時に頑張って作業をしていて……これじゃ駄目だと言ったら、心が折れてしまったこともありました(笑)。

商品である以上、この作品を手に取ってくれる人のことも考えて作っていかなければならない、そしてそここそは絶対外せないところなんだけど、作品化と相反することがあるところでもあります。それを解決していくのは、作品への想い同様、このゲームを手に取ってくれる人への想いなんだなと思いました。

稲葉さん、神谷さんコンビと、クローバースタジオの今後に超期待をしていたのですが、親会社カプコンの事業整理の憂き目に遭い解散となってしまいました。残念です。会社組織は解散してもこのスタッフで次回作を作る日がくることを願ってやみません。カプコンなんて大嫌いだ!(でもまだクローローバスタジオの「採用情報」のリンクは生きているし、「2007年度の新卒採用の募集は、終了いたしました。」とか書いてあるんだよね〜)