W杯サッカー、閉幕

もちろん、見ましたとも、W杯決勝、イタリアvsフランス。
フランスは、大会会期中最も成長したチームと言ってもいいのではないかなと思う。グループリーグの時にはぎこちなかった連携がどんどんコナれていくのがシロウト目にもわかるくらいだった。決勝マッチが始まる前に散々ハイライトを見て確信したよ。ただ、コナれていく連携とは裏腹に選手の皆さんがだんだんぼろぼろになっていく様も見てとれて、W杯で勝ち上がることの難しさも実感した。みな、広辞苑の「満身創痍」のところに例として掲載されそうなくらいぼろぼろだった。

1-1から点が動かず、両者一歩も譲らない状況が続いていったとき、私は、PK戦だけにはならないで欲しいと願った。94年のW杯の決勝で、イタリアがPK戦でカップを逃してしまったのを思い出したのだ。そのときPKを外し天を仰いだのはロベルト・バッジオだった。誰もが必ず決めるだろうと思っていたシュートが外れた。それは、広辞苑の「絶対なんてこの世にない」のところに例として掲載されそうなくらい真っ白だった。

そしてPK戦。 あの時の若き悲劇のエースの姿とデル・ピエロがだぶって、どきどきした。いや、そんな、まさか…。ボールがネットを揺らしたとき、もう勝敗の結果なんでどうでもよいくらい安堵した。

今度はイタリアが勝っていいよ、と、サッカーの神様が与えてくださったに違いない勝利だ、と、思った。

あーそれにしても残念なのは、ジダンがレッドカードで退場したこと。あれはないだろう、ジダンよ、あなたはもっとクレバーなヤツかと思ったよ。ジダンに執拗に張り付いていたマテラッティという選手は、イタリアのインテルに所属している選手で、普段からラフプレーが目立つ選手だと聞いた。確かに彼への“揺さぶり”は激しいものがあり、審判もこうなる前にマテラッティに忠告なり警告なりイエローなりを発することができればよかったのだけれど…。だからといって、サッカー以外のところで倍返しというのは、ちょっとちがうんじゃないの、と思う。

この手のスポーツは、審判が試合の流れを左右するくらいの力を持つのだけれど、その審判の目はいくらだって欺けてしまうという事実がある。だからといって「審判の目を欺くのも技術のうち」なんてことは、全く、ない。「日本はフェアプレイすぎて負けた」とかいうバカがいるらしい。そーゆーやつは、今回、炎天下の中2回日本チームに試合をさせたヒトと一緒に日本以外のところで沈没して欲しい。

某紙に、フローラン・ダバディ氏が「協会会長に“立候補”します」と題して寄稿した記事が面白かった。日本には日本の戦い方があるはず。日本チームが身につけるべきは上手い審判の欺き方でもなく、上手い敵のつっ転ばし方でもない。悩んで苦悩して、4年後、これが日本のサッカーだ、というものを見せて欲しいなと思った。