私は握手が苦手だった。

私は握手が苦手だった。

理由は私が右手が不自由だからだ。ぜんぶの指に力がかからないので、ぎゅっ、っとした握手にならないのだ。初めて私と握手をした人は、たいてい、「ん?」っという顔をする。ぜんぜん、ぎゅっ、としていない握手だから、きっと「この人はなんだか気が進まないまま握手をしているんだな」と思うんじゃないかな。本人はぜんぜんそんなつもりじゃないのに。コミュニケーションのいちばん最初のところで、ああ伝わらなかったなあ、という体験をして、それをその後引きずってコミュニケーションしていくのは辛いものだ。

あと、動かない=痛いと気を使ってくれるのか、私がぎゅっと握手しないのに呼応してくれるのか、私にはそっと、というか、半分の握手をしてくれる人もいて、それも辛かった。気を使ってくれるのはうれしいのだけれどやっぱり何か伝わってこない気がして。同時に、自分の想いも伝わってないんだなと再確認させらるので。

そんなんで私が握手が苦手だった。今はそんなに親しくない人にも「あーすみません私右手よく動かないんでーw」なんて言えるけど、昔はそうでもなかった。けっこう長いことそうでもなかった。アメリカで生活しているときは特に辛かった。それで集中してリハビリをしたり、努めて右手を使うようにして、なんとかマシな握手ができるようになった。右の肩を落として、肘を曲げて、手首を下げる動きを利用すれば、右手全部の指がちゃんと曲がる。右手ぜんぶで握手ができる。ただしこれら一連の動作ができるときでないとならないけど。

そうなんだけど、私は握手が好きです。あの二人の距離感とかちゃんと顔を見て交わすことができるコミュニケーションであることとか。

ああそうだ、この人と初めて握手したときのことは今でもはっきりと覚えている。それはその人と初めて言葉を交わしたときだ。予期しないタイミングですっと手を出されたので私はぜんぜん準備ができていなくって、その人はもうびっくりするくらいぎゅっ…と握手をしてくれたのだった。対して私は、もちろん本人的にはぎゅっと力を入れたつもりだけど、ほんとにそっとしか握ることができなかった。それでもその人は、最初のまま力のこもった握手をし続けてくれた。正直、痛いくらいだった(笑)そのとき、その人はもう何人もの人と握手をしていてテンションも高めになっていたからかもしれないけど、あの、初めて会ったばかりの人に力一杯の握手がその人の人となりを端的に表しているような気がして、胸が熱くなった。今思い出しても、じん、とする。

それから何度か握手してもらえる機会があったけど、他の人が握手して貰っていても「握手してください」と私は言えなくて握手してもらい損ねちゃうことが何度かあった。なんだかそれからいろいろあって、「握手してください」っていうのがおかしいかなあもう、なんて思うようになった。全然そんなことないと思うんだけど!なんで言えないんだよ自分!でも本人とその機会を前にすると、「握手してください」っていう一言が出てこない…。

それが今日は、とても自然にすっと前に出された彼の手に、私もすっと自分の手を出した。一仕事終わったその手は、厚くて熱かった。ぎゅっ、と握ると、その何倍もの力でぎゅっと握り返してくれた。ああ、伝わったかなあ、と思った。体中の力が抜けていくような気がした。

彼が手を緩めたとき、反射的にか名残惜しさからかもう一度ぎゅっと力を入れてしまった。そしたら、彼も、もう一度短くぎゅっと握手し返してくれた。

その後は、顔、見ることができなかった。彼の手が指先が私の手から離れるをの感じるのが切なかった。ほんとは言いたいことが山ほどあった、でも言葉にすると山ほどになってしまうそれらは、あの握手で全部伝わった気がした。

とても小さなことかもしれない。こんなことで大喜びしているなんて人に話したら笑われるかもしれない(実際笑われているけど)。でもいいんだ。何もないより全然マシだ。最初から自分が「ヒロイン」になれるなんて思っていないよ、すっごい奇跡が起きない限りは。そしてそんな奇跡は、何もしないで座って待ってて来るものではない。私は私にできることをするだけ、それで彼が喜んでくれれば、彼の笑顔が見られれば、そうしてまた握手をする機会ができれば、それでいいと思う。何もないよりは全然マシ、だ。

またいつか、握手をしてもらえる機会があるかもしれない。そのときに堂々と手を差し出すことができるように、がんばろう、自分。